333のソルフェージュのあとがき より

   もし私たちカ,モニュメンタルなハンガリー民謡の昔の光が、ハンガリー民族全体にくまなく照りわたるように、と思うなら、ハンガリー民謡のシステムと精神にのっとって書かれた、しかし、音域が狭くリズムの易しい曲をもって子ども達に出発への起点をあたえてやらなければならない。そうでなければ、彼らは、今日の流通している音楽教材によって育てられつつ、みずからの民族の、いちばん古い、大もとの音楽を奇異なものと感ずるであろうし、現在、そう感じてもいるのだ。なぜなら、ディアトニックから出発して、何か例外的な、奇妙なものでもあるかのように、のちになって5音階(ペンタトニック)にパックするのは、ゆがんだメトードといわれなければならない。いまだに、5音階の音楽を全く無視している教科書や教則本が一般に使われていることについて、ここでは語るまい。私たちにとっては、これ以外には、他にどのような礎石も考えられないのだ。また、合理的な教育では、単純なものから、より複合的なものに向かって進むのがふつうではないか。外国のものであり、時代遅れでもあるメトードに70年間仕えてきた、文化的にいわば奴隷のような人々にとっては、これをやってみることは至難なことかもしれない。しかし、私たちは、すべての向上を望む教育者が、この私たちの直面している過渡期を、より短くし、より混乱の少ないものにするために、自分なりの力を惜しまないことを希望したい。
(中川弘一郎訳『コダーイ・ゾルターンの教育思想と実践』より。
333のソルフェージュのあとがき(抜粋))

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