コダーイメソッドとは何か?《連載第14回》

〜音楽の読み書きの指導①〜

 楽譜の読み書きを教えることは本当に必要でしょうか?

 それは単に音楽家が身に付ければよい専門技術なのではないでしょうか?

 例えば、コダーイの言うように、もしも音楽教育の目的が〝子ども達にすぐれた音楽を理解できる力を付ける‥〟ということにあるのならば、出来るだけ良い音楽を聞かせ、歌わせ、演奏させてゆく…、それだけで十分なのではないでしょうか?

‥ ‥ ‥ 

 しかしコダーイはそのようには考えませんでした。

 『楽譜のない,文字を知らない青春文化も,文化には違いない。それは,口伝えによる耳から入った器楽演奏であり,私たちのすばらしい民謡の金山も文化を意味する。…
 …しかし,オラールな[=耳からの],いわば口承文化の時代はすでに終わりを告げ,私たちの周囲を見回せば,すでにみんな(=各民族)が読み書きの文化のエポックにはいっている。私たちのところでも,文字はすでにだいぶ前からこの時代の恩恵を受けているのだが,音楽では,まだそこに到達していない。音楽文化は,今日どのようなものであっても,読み書きなしには存在できないのである。』
『音楽も,ことばと同じように,人間の魂の,人間の心の発露表現なのである。この〝音楽のことば〟の巨匠たちは,他のどのようなことばでもいい表わせないようなことどもを,人類に向かって語っている。これが,死んだ宝になってしまわないようにと思うなら,そこで語られていることばを,1人でも多くの人が理解しマスターできるように,私たちは力のすべてをつくさなければならない。』

〜『セーニ、ソルフェージ教授法』に寄せたコダーイの序文(1953年)〜 

 もちろん、それが子どもたちにとって窮屈な単なる〝技術教育〟になってしまったとしたら本末転倒です。が、しかし常に《生きた音楽》と結びつけながら、楽しく魅力的な学習になるように工夫することで、この〝音楽の読み書き〟の力は、どの子にも確実に身に付けてさせていくことができますし、また、それができなければ、子どもたちが本当の意味で〝自立して音楽を理解できるようになった〟‥と言うことはできないのではないでしょうか?

 コダーイメソッドではこのような考えから、この〝音楽の読み書きの指導〟を教育課程の中心課題の1つに据えているのです。

 『音楽を理解する道は、だれにも開けていいる。それは音楽の読み書きである。これを習得したら,だれでも傑作に参加できる。』 

〜『学校音楽の目的とは何か?』    (1944年)〜
 『字を読むことのできない人が, ある種の知識や文字で書かれた文化を理解できると思えますか? 同様に音楽知識は, 楽譜が読めないと理解することはできません。』 

〜『音楽愛好家へ』(1950年)〜

‥ ‥ ‥ 

 さて、そこで、(ここまでのお話の中にも何回か出てきた)この〝音楽の読み書き〟の指導について、そのコツは一体何か?ということについても、ここでちょっと簡単にまとめておこうと思います。

 そのコツは、ズバリ!…一にも二にも、その《計画》です。

‥ ‥ ‥ 

 つまり、私たち指導者が、いくつかあるその原理・原則をしっかりと理解し、押さえてさえゆけば、この《読み書きの指導》は、けして難しいことではなくなります。またもちろん、子ども達も混乱なくスムーズにその力を身に付けてゆくことができるようになります。 例えば‥、いくつか具体的にお話します。

‥ ‥ ‥ 

原則①【読むこと⇄書くこと】

 楽譜を〝読むこと〟と〝書くこと〟は、実は全く同じことの裏と表の関係になっている、ということがお分かりでしょうか?

👉(第15回につづく)

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