〜【ポリフォニーと和声】①〜
ここから先は、ポリフォニーとハーモニーの話になります。
ポリフォニーというのは、日本語では《多声》などとも訳されますが、まあ簡単に言えば、ただメロディーだけを歌うのではでなく、例えば合唱のように2つ以上のメロディーを同時に重ねて歌うような場合のことを言います。
この〝合唱〟については、コダーイ自身も、その意義を重視していました。
『合唱ほど、社会的連帯性を実際に子どもに感じさせる手段が,他にあるだろうか? 人々は,たとえどんなに有能でも、1人では実現できないようなことのためにカを合わせる。そこでは 1人1人、すべての人のしごとが,同じように大事であり,たった1人の人の間違いが、全体をだめにすることもありうる。』 〜『子どもの合唱』(1929年)〜
実は、コダーイが本格的に音楽教育の改革について提言を始める以前から、ハンガリーの学校にはいくつかのすぐれた児童合唱団がありました。
1923年、コダーイの「ハンガリー詩篇」の初演時にその演奏に参加し、コダーイをいたく感激させたブダペストの学校の合唱団(※2)もその一つでした。
しかし、当時はそのような児童合唱団が歌うのにふさわしく、また芸術的価値のある曲がほとんどありませんでした。そこでコダーイはそのような合唱団のレパートリーの不足を補い、また子ども達にハンガリーの精神を表した音楽を与えるために、わらべうた・民謡を基にした児童合唱曲の創作を始めたのです。
そして、1925年、このようなコンセプトによる一連の合唱曲のうちの最初の二曲「わら人形の祭り(※注)」と「ごらん、ジプシーがチーズをかじっている」の二曲が初演され、1927年頃からは、コダーイの弟子達による青少年の合唱運動も始まりました。
さらに、1937年には、コダーイの盟友バルトークも、コダーイの呼びかけに応じて「児童と女声のための合唱曲集」を発表しました。
つまり、ハンガリーでは1930年代には既に合唱を音楽教育の基盤におく‥という考え方があった、ということになります。
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そして、注目すべきことは、これらの合唱曲のほとんどがアカペラ(→無伴奏様式)で書かれていたということです。
『ほんとうのことをいえば,私はピアノの伴奏のついた合唱は大嫌いです。その大きな理由は,歌い手がよくなくてもピッチはよく保っていられるし,何も注意しないし,音をはずすからです。私は少なくとも調子をはずさないでうたうのを聞いたことがありません。ピアノのピッチより高いか低いかのどちらかであり,不協和音が聞こえてきます。大きい合唱団ではピアノの音量は釣り合わないし,そのうえ,うた声が溶け合うことがないことはいうまでもありません。オーケストラ伴奏のほうがまだよろしい。』 〜ブダペスト民俗芸能研究所での講演(1951年)〜
ハンガリーでは伴奏をつけないでうたうようになってから, 音程により注意を向けてうたうようになり、また、それは、パレストリーナ、ラッソ等のルネッサンス以前の古い合唱曲の再認識にも繋がりました。現在でもそれらの作品はハンガリーの学校の中で、重要な教材として様々な場面で活用されています。
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そして, もう一つ‥、このようにピアノ伴奏に頼らなくても合唱の練習ができるようになった、その基盤には、学校におけるソルフ ェージュ教育の充実‥ということがあることも忘れてはならないでしょう。
『楽譜を少しでも読んでみようとしている合唱団は,耳から覚えておうむのように繰り返すことよりも、うたうレパートリーや,作品を見る目が10倍も広がり, また練習時間も10分の1ですませることができる。新しい小学校のカリキュラムが, 実行されたからには, 読譜できない大人がほとんどいなくなるのを願っている。』 〜『労働者コーラスの国民的重要性』(1947年)〜
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さて‥、
それでは、コダーイメソッドでは、その〝合唱する力〟を一体どのようにして付けて行くのか?‥ということになるわけなのですが‥。
‥その前に、皆さん、
そもそも、なんで合唱で歌わなければならないのか?‥メロディーだけではいけないのか?‥ということを考えてみたことがありますか?
(第17回につづく)
(※注)原題は、”Villő”。復活祭前の日曜日(枝の主の日)にゾボル地方で行われる女の子の二つの行事のうちの一つ。⇨①冬を葬る行事。人形(に見立てたもの) を川に流す、あるいは燃やす。②春を迎える行事。ヴィッレーと称される飾りを施した柳の枝を持って女の子たちが門付けし、各家の奥さんがその枝を1本折り、「みんなお嫁に行きなさい!」と言いながら枝で女の子たちのお尻を叩く。この曲には「ゾボル地方の断食の行事」と副題が付けられている。断食とは、復活祭の前40日間、肉食を絶つキリスト教の習慣で、それと民俗行事ヴィッレーが混ざり合い、各地方でそれぞれの歌(民謡)が生まれた。
※ステージ用に再編し、小学生によって歌い演じられた動画。↓
https://www.youtube.com/watch?v=4D-BC5KFMMg
(※2 音楽教師ボルシュエンドレの指揮するブダペストヴェシェレーニ通り少年高等小学校)
>①冬を葬る行事。人形(に見立てたもの) を川に捨てる、あるいは燃やす。
訂正します!!!
<川に捨てる>のではなく、<川に流す>です。
日本でも流しびなの風習がありました。これは、人間の災厄を人型に移して川に流し、持ち去ってもらうというものです。
ハンガリーの行事は、寒くてつらい冬を追い出し流します(ハンガリーの冬は日照時間が短く、15時過ぎには暗くなります)。
そして、春に近づくにつれ日照時間が長くなり、暖かくもなります。この春を迎える行事がヴィッレーです。
流しびなも、ヴィッレーも同じような時期に行われる行事ですから、根っこにある考えは同じようだと思ってよいのではないでしょうか。
ありがとうございます。
<川に流す>に修正させていただきました。^ ^
コダーイ・コンセプトと関係のないコメントですが、コダーイの合唱曲「麦わら男ヴィロー」という題がどうにも気になりましたので解説させてください。
原題は、単に”Villő”です。この言葉はハンガリー語ではありません。
復活祭前の日曜日(枝の主の日)にゾボル地方では二つの行事が行なわれます。どちらも女の子の行事です
①冬を葬る行事。人形(に見立てたもの) を川に捨てる、あるいは燃やす。
②春を迎える行事。ヴィッレーと称される飾りを施した柳の枝を持って女の子たちが門付けし、各家の奥さんがその枝を1本折り、「みんなお嫁に行きなさい!」と言いながら枝で女の子たちのお尻を叩く。
日本語訳で<麦わら男>と付されたタイトルに時々お目にかかりますが、歌詞にはまったくそんな言葉は出てきません。私の推測なのですが、上記①の人形に見立てたものが麦わらで作られていることから、このタイトルを英語(あるいはそこから日本語)に訳した人が補足して、麦わら男となってしまったのではないかと思います。この人形は女です。
次の動画で確かめてみてください(他の地方ですので、歌がコダーイのものとは異なります)。https://www.youtube.com/watch?v=yFOxCJuGv90
ヴィローという単語について。őはeに近い(ハンガリー語ではÖがEに変化する単語がいくつか見られます(例:föl↔fel)し、カタカナで表示する時にÖは<エ>と表示するというルールに基づき、ヴィローではなく<ヴィッレー>と表示すべきでしょう。
この合唱曲は「ゾボル地方の断食の行事」と副題が付けられています。断食とは、復活祭の前40日間、肉食を絶つキリスト教の習慣です。それと民俗行事ヴィッレーが混ざり合い、各地方でそれぞれの歌(民謡)も生まれました。
その行事をステージ用に再編し、小学生によって歌い演じられた動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=4D-BC5KFMMg
伊藤先生、ありがとうございました!あすなろ少年少女合唱団では茂手節子先生の日本語訳でよく、この”Villő”を歌っていました。‥が、詳しい行事の内容については全く知りませんでした。貴重なアドバイス内容は是非、記事の(注釈)として入れさせていただきたいと思います。