〜【ポリフォニーと和声】⑫〜
コダーイは、1937年に「ビチニア・フンガリカ」というハンガリー民謡をもとにした(※)2声部の合唱曲集を出版し、ハンガリーの子ども達に、自らの伝統を通して、2声で音楽を理解できる力を身に付けさせようとしました。
(※)ビチニア第3〜4巻にはハンガリー近隣諸民族の民謡も使われています。
‥ところが、当時のハンガリーでは多くの教師がこの曲集の使い方がよくわからなかったようで、ごく一部の限られた人にしか活用されませんでした。
そこでコダーイは、1941年、この〈ビチニア〉を歌うための準備として、音程の練習だけに特化をしたちょっと珍しい練習曲を書きました。
これが有名な「音程を清潔に歌おう!」という曲集です。
この曲集に収められた107の練習曲は、そのほとんどが全音符、二分音符などのごく単純な音符で書かれ、生徒が音程だけに集中して練習できるよう工夫されています。そして、おもしろいのは、その配列‥つまり曲の順番です。
日本では普通〈音程の練習〉というと、まずはじめに隣り合う近い音(二度の順次進行)から始め、次第に離れた音程(‥三度‥四度‥と跳躍した音)でも歌えるように練習していく‥と言った手順を取りませんか?ところがこの曲集では、それが全く逆になっているのです。
例えば、1番と2番の練習曲には、1オクターブの跳躍しか出て来ません。3番〜5番は、完全5度と完全4度の跳躍。6番からやっと3度や6度の音程が出てきます。が、長二度の順次進行は28番になるまで全く出てきません。
コダーイは何故このような配列にしたのでしょう?
それは実は〈倍音の法則〉が関係しています。
‥ ‥ ‥
〈倍音〉とは、ある一つの高さの声(‥あるいは一つの楽器の音)を出した時に、音響学的に同時に微かに響いている音のことです。例えば次のようなものです。👇
{C=64の音を出した時に鳴っている倍音}
(1秒間の振動数)
⬇︎
第10倍音‥‥‥‥‥ミ´´´ 640
第 9倍音‥‥‥‥‥レ´´´ 576
第 8倍音‥‥‥‥‥ド´´´ 512
第 7倍音‥‥‥‥‥タ´´ 448
第 6倍音‥‥‥‥‥ソ´´ ┓ 384
短三度
第 5倍音‥‥‥‥‥ミ´´ ┓ ┛ 320
長三度
第 4倍音‥‥‥‥‥ド´´ ┛ ┓ 256
完
全
四
度
第 3倍音‥‥‥‥‥ソ´ ┓ ┛ 192
:
完
全
5
度
第 2倍音‥‥‥‥‥ド´ ┓ ┛ 128
:
オ
ク
タ
┃
ブ
:
👆
(基の音)‥‥‥‥ド ┛ 64
このように、ドの音を単音で歌った時にも、実はその整数倍(2倍‥3倍‥4倍‥5倍‥)の周波数に当たる純正な音が同時に調和して響いています。それはちょうど〈ド〉〈ソ〉〈ド´〉〈ミ´〉‥と、長調の主和音の構成音とも一致しています。
そして、この〈倍音列〉は、2声で歌った時のお互いによく溶け合う音程の順番をも示しているのです。
コダーイは、この原理を生かして、響き合い・溶け合いの明確な音程(‥オクターブ、完全5度、完全4度など)から順に練習し、子どもたちが無理なく純正な音程感覚を身に付けられるようにしてある‥ということなのです。
そして、この曲集では、このあと次第にペンタトニックの他の音でも純正な音程に慣れてゆき、最後の106番と107番では半音の動きも練習します。
‥ ‥ ‥
このようなやり方を取ってゆけば、無理やりに長二度の微妙な音程差を分からせよう‥などと苦労しなくても、子どもたちたちに、自然に響き合う純正な音程感覚を身に付けさせてゆくことができます。
『〈ドーソ〉という支えの声部を,そのバックに想像できるものが、〈ド→レ〉の進行をいちばん清潔にうたうことができる。そして,この〈ドーソ〉の支えは,それを十分に聴いたことがあれば,容易に想像することができる。つまり,聴くということに大きな配慮が払われなければならない。聴くことが,音程をとれることの保証であって,ハシゴを段階的に順々にのぼっていくやり方ではない。ハシゴを順々にのぼって,第5度から第6度にきたころには,もう最初の第1音を忘れてしまい,また,その間にあった2度進行のそれぞれがぐらつくことによって, せっかくのぼった第5音も,第6音も動揺してしまう。“C-dur のハシゴ方式” は,よい音程の敵である。』
『すべての音程進行,ないし跳躍は,それぞれにおいて,そのそれぞれの異なった特徴と機能的役割において定着させるべきものであって、順次進行の機械的な,全体的な積み重ねから割り出されるものではない。このような積み重ね方式で、より大きい跳躍の音程を探す場合には,ひじょうにゆっくりにしか、また、不確かにしか成功しない。ここから,ディプロマをもった音楽教師でも、つっかえながらしか読めない,という事態が生じる。』
『音階の音程を清潔にするためには、まず、その橋けたを構築しなければならない。』
〜コダーイ「音程を清潔に歌おう!」〜
著作権の関係でコダーイの楽譜をそのままお載せするわけにはいきませんので、代わりに似たような課題を例として載せておきましょう。👇
ド´ーー / \ ソーー ドー ドーー/ ミー‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ド´ーー / \ ソーーー ドーー ドーー/ ⬆︎ ⬆︎ ⬆︎ ⬆︎ ⬆︎ ① ② ③ ④ ⑤ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ①➡︎ここでまず、完全1度(同じ音)が溶け合っていることを確かめます。 ②➡︎上に上がったソプラノの音と調和するよう音をしっかりと持続し、1オクターブ下側のインターバルの響きを覚えます。 ③➡︎上のソプラノの音を目指してアルトも滑らかな1オクターブ上行の跳躍をし、その正しいイントネーションの仕方を練習します。 ④➡︎ソプラノが先に下がっても高いド´の音を持続させ、1オクターブ上側のインターバルの響きをよく覚えます。 ⑤➡︎下に行ったソプラノの音をガイドにして、アルトも1オクターブ下降する滑らかなイントネーションを練習します。
上のような練習は通常、クラスを2つに分け、先生が右手と左手で別々の音をハンドサインで示しながらゆっくり行います。
‥が、初心者の子どもの場合は、上のソプラノは先生一人が担当してハンドサインしながらゆっくり歌っていく‥という方法を取っても良いでしょう。子どもたちは、それを聞いて(見て)2秒遅れぐらいでやはりハンドサインをしながらカノンで追いかけて歌って行きます。先生が次の音に行っても2秒間ぐらいは前の音を持続して綺麗に伸ばし続け、純正な響きを作って歌えているか?‥を確かめます。
このようなやり方は、相手の声をよく聴く練習にもなりますし、しかも先行する先生の歌声をガイドにして純正な音程感覚も身に付きます。(※このような手法をよく〈耳からのカノン〉と呼んだりします。)
『無数の音の可能性が作る大世界の中で, 初心者の最初の歩み出しの支えになるものは, 何であろうか? それは,人の声とは異質な音色をもち,平均律化された楽器ではなく,もう1つのうたう声, 第2の声部,対声である。』
〜コダーイ「音程を清潔に歌おう!」〜
※尚、ここで言葉についてのご説明をちょっと‥。先程、教材の使い方の中で、〈インターバル〉と〈イントネーション〉という2種類の言葉を使い分けさせていただきました。この二つは日本語に訳すと、両方とも《音程》という同じ言葉になってしまいます。‥が、その意味合いとしては、〈インターバル〉の方は→《同時に鳴っている2つの音同士の〈間隔〉》という意味、〈イントネーション〉は、→《一つの声部が次の音に行くまでのメロディーの高低差・距離》‥というニュアンスでここでは使っています。コダーイの練習曲は、その両方ともが漏れなく練習できるよう緻密に計算されている‥ということなのです。
『2声歌唱の発展の支柱としての価値は,ほんとうは,はかりしれないほど高く,その活用領域は,限りないほど広い。それは,ポリフォニック(多声的)な聴力を発達させるだけでなく, ただ,1声の歌唱(斉唱)の清潔さからいっても,大きな価値がある。いつも1声(斉唱)でしかうたわないものは,正しい音程でうたうことのできないもの,それを知らないもの,とさえいうことができる。1声歌唱(斉唱)の音程は,2声歌唱の練習においてのみ,ほんとうに習得することかできる。』 『両方の声部は, 相互に正し合い,相互に均衡し合う。横の線上で音程を順次に正しくとれるのは,その音程が同時になったときの総合を感じることのできるものだけである。』 『一度に鳴る〈ドーソ〉の音像が,その耳になり響く生きた現実であるとき,〈ド→ソ〉の跳躍も,より正しくとることができる。』 〜「音程を清潔に歌おう!」のまえがきより〜
さて‥、
実は、このような練習曲を使った系統的な音程練習を始める以前の段階(‥例えば、低学年で2つ3つの音を習っただけの段階)でも、既にこのようなソルミゼーションを使った多声(ポリフォニー)練習は可能です。
いや!むしろ初期の読譜練習に多声的な活動を取り入れることは、子どもたちの楽しみを増し、その効果を倍増させることにも繋がるのです。このような方法についても次にいくつかご紹介しておきましょう。
(第28回につづく)
『私は、2声歌唱の初歩が,すでに,小学校で子どもたちが音符を知らない段階でも,ハンドサインや移動ド階名を使って始められることに、何の不都合もないと思う。2声歌唱練習を早くから使えば,読譜の習得も,そして少なくとも、読譜の音程をとる部分だけでも,もっと能率が上がる。』
〜「音程を清潔に歌おう!」〜
『早くから2声をうたう練習が大切である。最初はハンドサインで,次はレターサイン,生徒が読むことができるならすぐ楽譜から。』
〜「聴衆の教育」(1957年)〜
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